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吉田松陰の墓所。

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松陰神社前駅から歩いて3分の場所に、
明治維新への人材を育てた吉田松陰の墓所がある。
師を思う高杉晋作など松陰の門人によって、
世田谷区若林の墓所に移されたもの。
幕末維新祭りを中心に、この墓所を訪れる人は多い。

(若林4丁目)
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聖徳太子参道

三軒茶屋と北沢を結ぶ茶沢通り。
緩やかな坂道を下ったところに太子堂の町がある。
太子堂とは、聖徳太子の像を祀った仏堂の呼称。
街中の円泉寺に聖徳太子を奉っていることから太子堂と呼ばれ、
これが町名として採用されたという。
茶沢通りの一角に参道の碑が建っている。

(太子堂3丁目)

大山街道の道標。

大山道の道標

三軒茶屋交差点の分岐点に道標がある。
江戸町人が大山詣りが盛んになった時代に通った大山道。
当時、沿道に数多くの道標が建てられたという。

冨士・世田谷道・登戸道は、現在の世田谷通り。
この道標も、東京オリンピックなどで何回か移設されたが、
昭和59年に、現在の元の場所に戻された。

相州道、二子道も、現在の玉川通りだ。
この街道沿いに、3軒の宿があったので三宿と名付けられ、
また、3軒の茶屋があったので三軒茶屋と…。

(三軒茶屋2丁目)

玉電(たまでん)

懐かしの玉電

世田谷区には、昔懐かしい玉電が走っていた。
その昔、多摩川の砂利運搬の鉄道だったので「じゃり電」と呼ばれていた。
その鉄道に人が乗るようになり、路面電車の玉電として始まった。

当時は、渋谷から二子玉川を結ぶ路線のほかに砧線もあった。
砧線は大正13年に開通し、二子玉川と砧を結ぶ田圃のあぜ道を走る路線。
大正14年には三軒茶屋と下高井戸を結ぶ枝線も走った。

デザインも木造電車から金属製に変り、何回か変化していった。
今は、三軒茶屋から下高井戸までの10駅を世田谷線として走っている。
30年代に走っていた電車の実物が宮坂駅前に飾ってある。

(宮坂1丁目)

連隊兵舎跡。

練兵隊宿舎跡地

世田谷区下馬方面にあった連隊兵舎。
終戦後の跡地は、世田谷公園や都営団地に建て替えられた。
しかし、今でも当時の古い建物が残されていた。

兵舎のほかに天井の高い厩舎もあった。
また、在日韓国民団の世田谷支部本部も旧陸軍の兵舎跡地だ。
最近まで、保育園として使われていたものもあった。

この残された兵舎は、歴史を語る建造物だ。
当時は、そのまま大規模な団地として使用されていたが、建て替えられた。
戦後64年、あの出来事を忘れないためにも保存したい。

(下馬2丁目)

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